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葬祭ディレクターのブログ

新人髙橋の葬祭ディレクターへの道#8 後編

投稿日:2021年11月16日
スタッフのつぶやき

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お世話様でございます。エヴァホール大海高橋です。ごめんなさい公開を忘れてしまっていました!!

今回は前回に引き続き神社についての後編ということで、前回鳥居についてのお話をさせていただきましたので、今回は神社といえば…というもう一つのシンボルからお話を始めさせていただきます。では、どうぞ!

古代オリエントの守護獣=獅子に連なる狛犬

鳥居と並んで、神社のシンボル的な存在となっているのが、狛犬ではないでしょうか。神社の入り口、つまり鳥居の周囲、あるいは拝殿の正面に、左右一対で向き合って鎮座するのが一般的。一部では建物に背を向け、参拝者に正対するものもあります。

まら、一般に「狛犬」と一くくりに称されますが、実は、本殿に向かって左側が、本来の狛犬で、右側は獅子。それぞれそれぞれに異なる聖獣です。

日本への伝来には諸説ありますが、起源は、古代オリエント諸国や、インド。彼の地では、聖なるもの、神や、王位の守護獣として、獅子=ライオンを用いる文化がありました。その一例がエジプトのスフィンクスであり、西欧諸国で見られる王家の紋章や建物の装飾なども、その系譜に繫がるものです。

狛犬も、言わば、その遠縁。中国に伝わった獅子像が、おそらく飛鳥時代に、仏教とともに日本へと伝わったと考えられます。その際、この未知の動物を犬と捉え、朝鮮半島(高麗)を経由して伝来したため、高麗の犬、即ち「高麗犬(こまいぬ)」と称するようになったという説もあります。

ただ、当初は、法隆寺の五重塔初重の壁面塑像にあるように、仏や仏塔入口の両脇に置かれ、獅子、あるいは大型犬のように左右共通の姿だったようです。

その後、平安時代には、天皇の玉座の守護獣像として定着。これを各地の神社が倣い、神社の本殿内に置くようになりました。ただ、神域全体を守る獅子、狛犬として、参道などに置かれるようになったのは、江戸時代になってから。したがって、伊勢神宮など、平安時代よりも古い歴史を紡ぐ神社には、狛犬がない場合が多いようです。

さて、この狛犬ですが、いつの間にか日本風のアレンジがなされていきます。即ち、本殿に向かって右側、口を開いたものが「阿形」の獅子。左側の閉じたものが「吽形」の狛犬です。

これは、寺院の山門の金剛力士像などにも見られますが、右が「阿」で、左が「吽」。つまり、右から読めば「阿吽」で、口を大きく開く「阿」から始まり、まったく開かない「吽」で終わるサンスクリット語では、万物の始めから終わりまでを意味するもの。それが転じて、呼吸まで合わせて何かの行動をするという意味の慣用句にもなっていたのです。

口の形状以外にも、古くは狛犬にのみ角があったり、狛犬が「子」を従え、獅子が「玉(毬)」を持っているという例もあります。

一方、例えば稲荷神社の神社で見られる狐は、守護神ではなく「神使」。他にも天満宮の牛、春日神社の鹿、八幡宮の鳩などがあります。

ところで、沖縄のシーサーと狛犬の関係は、どうなのでしょうか。その源流は、狛犬と同じく古代オリエントの獅子に遡ることができるようです。また、同じく口の開いた「阿形」と閉じた「吽形」がありますが、一対で置かれるのは珍しいと言われています。さらに、シーサーといえば、屋根の上の言うイメージがありますが、これは、庶民が瓦葺きを許された明治以降のこと。従来は、寺社や門、御嶽(琉球神道の祭祀施設)、貴族の墓陵、村落の出入り口などに設置されていたようです。

 

参拝前に身を浄める手水舎

鳥居をくぐった参拝者がまずなすべきことは、手水で身を浄めることです。これは、伊勢神宮の御手洗場などで見られるように、聖域を訪れる際、周辺に流れる河川の水や湧き水で身を浄めていたことに由来するものでしょう。常に清流や湧き水を確保するのは困難なので、御手洗場の代替として生まれたのが手水舎ということです。

手水舎の造りで多いのは、四方転び(傾斜)の柱で、四方が吹き放しというもの。その中に据え付けられた水盤から、置かれている柄杓で一杯分の手水を掬い、定められた所作(※後で一例をあげます)を行います。

この後、拝殿の前へと参道を進みますが、ここでも歩くのは左側。神様が通る場所とされている真ん中、即ち「正中」は、空けておきます。ただ、伊勢神宮の内宮は「右側通行」というのがしきたりです。

また、参道を横切る際、「正中」の位置で軽く頭を下げながら通ったり、神前に向き直って一礼してから横切るようにするといいでしょう。

 

拝殿での拝礼を終えたら、建築様式の鑑賞も

参道を進んで、正面にあるのが、多くの場合、拝殿です。ここは言わば、参拝者が神様に話しかける場所。鈴があれば、まずは鳴らして、神様に自分が来たことを知らせましょう。ちなみに、この鈴には魔よけの意味もあるようです。

次に、お賽銭は、決して投げ入れないこと。金額の多寡は問われませんが、住所と氏名を書いたポチ袋に紙幣を入れ、丁寧に投入すると、念もこもるのではないでしょうか。

拝礼の作法は、神社によて異なる場合もありますが、基本は二礼二拍手一礼です。即ち、腰を九十度に曲げて二回の礼を行い、拍手は胸の前で、右手を少し下にずらして二回。ずらした指を戻し、合掌したまま、まずは心の中で、自分の住所・氏名を述べ、お参りをさせていただいたことの感謝を述べ、心を込めて祈ります。両手を下ろしたら最後にもう一度深い礼をして終わりです。

ところで、神社の拝殿、本殿、そして社殿という言葉の違いはご存じでしょうか?

まず、社殿は、神社にある建物の総称です。次に、拝殿は、前述の通り、概ね神社の正面にあって、参拝者が拝礼を行う場所。そして、本殿は、拝殿の後ろにある、その神社の歳神がおられる建物で、より荘厳な造りである場合が多いでしょう。

この本殿の様式は、神社によって様々に分類されます。国宝でもある吉備津神社は、「吉備津造」という独特に比翼入母屋造。他にも、妻入様式に出雲大社等の「春日造」、住吉大社等の「住吉造」など。平入様式には伊勢神宮や両国国技館吊り屋根で知られる「神明造」、加茂神社等の「流造」、厳島神社等の「八幡造」などがあります。また、京都の八坂神社は、一般の神社では別棟とする本殿と拝殿を一つの入母屋屋根で覆った独特の「八坂造」として知られています。

瓦葺きの多い寺院の屋根と違い、神社の屋根と言えば、檜皮葺きや茅葺き、杮葺きなど、自然由来の材料が使われてきました。昨今では、瓦葺きや銅板葺きも多くなりましたが、特に古い歴史を紡いできた神社では、今なお、見事な屋根を見ることができます。

また、神社の屋根には、他ではあまり見られない装飾があるのも特徴です。一つは、屋根の両端で交叉させた部材となる「千木」。そして、屋根の上で、棟に直角になるように何本か平行して並べた部材の「鰹木」です。どちらも古墳時代の家型埴輪にその原型が見られるように、当時の皇族や豪族の邸宅に用いられたものの名残だと考えられます。

また、「千木」は、先端が地面に対して垂直に削られた「外削ぎ」ほ、水平の「内削ぎ」がありますが、多いのは前者です。

拝礼の後はそれぞれの神社特有の建築様式を見て回るのも、神社参拝の楽しみではないでしょうか。

 

以上が今回お話させて頂きました神社についてのお話でした。

文中に出てきました手水の作法について一例を上げて締めにさせていただきます。

①右手で柄杓を取り、手水を掬う

②最初に左手を浄める

③柄杓を左手に持ち替え右手を浄める

④もう一度、柄杓を右手に持ち替え、左手の手のひらに手水を溜めて口に含み(柄杓には直接口をつけない)静かに口をゆすぎ、そっと吐き出す

⑤先の動作で左手をもう一度浄める

⑥柄杓の柄を片手で持ち、椀部が上になるよう傾け、残った水で柄を洗い流す

⑦柄杓をもとの位置に静かに戻す

 

以上になります。コロナが落ち着いてきたら是非、いろいろな神社に参拝に行ってみたいものですね。ではまた次回の更新で!!